かしわ忘備録

病気のこととかいろいろ

5年くらい殴られてない話

タイトルそのままです。
実家を出る2年ほど前から人に殴られていないと気付いた話です。

実家を出てから3年半ほど経ちました。ほぼ引きこもり状態になったり、ご飯が食べれなくなったり、眠れなくなったりしていましたが、人に殴られることがなくなったなあと気付いたという話です。
人の手がそこまで怖くなくなってきていると気付いたとき、少しびっくりしました。触られても親しい人相手なら怖くありません。以前は問答無用でぞわぞわしていて嫌でした。美容室のシャンプーとかめちゃくちゃ怖かったのに、最近はぞわぞわしなくなりました。
理由を考えたら、「最近人に殴られたことがない」のだと思い当たりました。暴力に晒された記憶がここ5年ほどなかったんです。


私の両親は「手が出る」タイプの人でした。特に母親です。父親は胸ぐらを掴んで脅したりすることが多かった気がします。
でも、外から見たら優しくいい親で、およそ殴ったりするようには見えなかったと思います。よその人が見てる前で殴ったりされたことはありませんし。私もそうですが、家族みんな異常なまでに外面がいいんですよね……。

何かが出来なかったり、忘れたり、ヘマしたり、嘘をついたり、口答えをしたりすると"叩かれて"いました。
基本的に平手で頭を殴られていました。たまにビンタ。
姉たち曰く「私たちよりマシ」らしいです。だから何?って話なんですけども。
ADHDの典型のような子どもだったので、さぞ両親は大変だったと思います。「迷惑をかけたなあ」とは思いますが、それとこれとは別の話です。
怒られる=叩かれる という認識でした。怒られたくないので、がんばっていたと思うんですが、結局怒られていたので、だんだんとやる気をなくしていったように思います。
そうすると、「怠けるな」と怒られる訳で、色々な怒られが発生していました。

母親は、「絶対に跡に残る場所」を殴りませんでしたし、「痛いけど跡には残らない力加減」で私を殴っていたように思います。
小学校4年生くらいのときに、耳ごとビンタされたことをよく覚えているのですが、耳鳴りがするほど痛かったのに、腫れたりはしなかったんです。あと基本的に髪の毛の生えている場所を叩かれていました。跡なんか残る訳ないですよね。もちろん誰にも気付かれません。
よく「叩いてる方も痛い」というのがありますが、私の母親はそうじゃなかったように思います。高校以降、親に殴られたときに反抗するようになって、それは確信に変わっていきました。まあ、もしかすると本人はそう思ってないかもしれませんが……。

大学の頃、学校に行けなくなり、親との喧嘩が増えました。バイトを「体調が悪い」と言って休んでも怒る親です。体調はもちろん心配されません。そういう親なので、学校をサボって怒らない筈がありません。
バイトには基本的に行っていたのが良くなかったのかもしれません。
基本的に夜眠れず、起きてばかりいたので昼間はよく寝ていました。
そうすると母親がやってきて、起きろと言われます。まあ、当たり前です。そこまでは普通です。でも、それでも起きなければ、次は嫌がらせをしてきました。つついたり、くすぐってきたり、耳元で大声で叫んだり。それで私が言い返すか、やり過ごしてそのまま起きなければ母は怒り、次は暴力の出番でした。
19歳の私は今よりかなり元気でした。何よりも体力がありました。なので、殴られたら殴り返すという選択を取っていました。
「親に手をあげるなんてどうかしている」とか「人でなし」「死ねというなら殺せばいい」「虐待されてるって警察に電話したらいい」「私の育て方が悪いって言いたいんでしょ」など色々と言われながら、「母親が諦めて殴ってこなくなる」まで私の抵抗は続きました。無我夢中で、母親が向かってこないように必死でした。母親は左手がデリケートなので、左手には気をつけながら。
ドアを閉めてみたり、部屋にバリケードを作ってみたりもしていました。あまり意味がなかったですが。
母親の右手の親指を外したこともありました。無我夢中で「これしかない!」と思って実行してしまったんです。これに関してはやり過ぎたと思っていますが、案外簡単に外れるものだと冷静な自分もいました。
何度か休戦したりもしていましたが、2年くらいは続いていたと思います。
事態が決定的に変わったのは揉み合いをしているときに、母親が転んで頭を打ったときでした。
一瞬「勝った」と思いましたが、血が出ているのを見て動揺しました。別に母親を傷付けたくて喧嘩している訳ではなかったからです。考えが浅すぎますが、当時は必死でした。大したことがなくて本当に良かったと思います。
どうしていいか分からずオロオロと泣く私に対して、母親は「何もしないなんて薄情者だ」と言いました。それを聞いて「じゃあ何もしないでおこう」と思いましたし、何もせずただ母親がタオルで傷を押さえたりしているのを見ていました。
父親が帰ってきたとき、「お母さんが頭に怪我をした」と言ったような気がします。父親は縫う必要のある傷だから病院に連れて行くと言っていましたが、母親が嫌がったのでそのままでした。「娘に怪我をさせられた」と言えばいいのにと思いました。でも、それより母親が怪我してしまったことが怖くて泣いていたことを覚えています。

その後何となく喧嘩は減りました。
私は姉に促され、母親に「暴力を振るってすみませんでした」と謝りました。怪我をさせたのは事実ですし、私もそれは反省していたからです。
母親は「はい」と言いました。それだけでした。

そのあと、私は4年になって大学にちゃんと行けるようになりました。3年の時点で留年が確定していたので、完全に諦めが付いたのかもしれません。教務課の人が非常に親身になって話を聞いてくれたのも大きかったと思います。教務課に単位について相談したり、レポートだと出し忘れるからテスト形式の授業を取ったり工夫するようになりました。教務課に完全に顔を覚えられていたので、すれ違ったときに「ちゃんと来てるね!えらい!」と褒められたりしていました。優しすぎる。
夏に利き手を痛めても、めげずにレポートを提出し、テストもしっかり受けました。我ながら偉い。
学校に行き、バイトにも行っていればあまり怒られることはありませんでした。
利き手の痛みは尺骨突き上げ症候群によるもので、関節液が出ている状態になっており、かなりの痛みでした。毎秒ハンマーで殴られているような感覚でした。さすがにバイトも辞め、趣味の絵もあまり描かないようにしていました。
家族は初めのうちは色々と心配してくれていたのですが、何ヶ月も経つと面倒臭いという態度を隠さなくなりました。
雨の日にバスから足を滑らせて足を打ったときも、病院に行ったら「大袈裟だ」と言われたりもしました。そういう家でした。
利き手は結局手術をしました。そのときはやたらと甲斐甲斐しく、感謝しつつも気持ち悪く思いました。
骨を切ったので痛みはあったものの、だんだんと良くなり、別のバイトも始められましたし、大学の研修旅行でインドに行ったりもしました。インドはいいぞ!

それでも、バイトへ行く途中体調を崩してバイトを休むことになったとき、怖くて家に帰れず怖かったことを覚えています。
右手を痛めていたときはさすがに殴られることはありませんでしたが、回復してしまえば話は別だと思ったんです。
今思えば私は母親の暴力に支配されていたのだと思います。

今、実家に戻ると殴られることはありません。お客さん対応をされるからです。それでも体調不良を理由に外出の予定を断るとずっと文句を言われます。体調を心配されることはありません。
私はこれがずっと普通だと思っていました。きっとみんなそんなものだろうと。「みんなそれでも頑張っていてすごいなあ、偉いなあ」と思っていました。でも、実家を離れて4年目になる今は普通ではなかったとはっきりと思います。

親に叩かれていたことをあまり他人に言ったことはありませんでした。言ったところで嘘だと思われるか、大袈裟だと言われるかのどちらかだと思っていたからです。
それに両親の外聞が悪くなるだろうと言わなかったというのもあります。外でいるときはいい親でいて欲しいという気持ちがあったからです。
ちなみにまだ主治医にも話せていません。というか家族との関係について話せたのがつい最近でした。通い始めて4年目になるのに……。
今はツイッターでたまに呟いては、出来れば子どもにそういうことをしないでやって欲しいとツイートしたりしています。どのみち鍵垢なのでフォロワー向けですが。

出来ればこれからも殴られたり殴ったりせずに生きていきたいです。結婚の予定もありませんし、子どもも欲しくないので、殴る方は大丈夫だと思います。殴られるのは運が悪ければあるかもしれない。
でもきっと、殴られるときの恐怖はきっと一生なくならないだろうなとも思います。


外傷が全然なくても結構殴られてて、私は非常に傷付いていたという話でした。
怪我が残らない分余計言いにくいし、まず気付かれないので子どものほうは「自分が悪いからだ」と思いつめ易いのでは?と思ったりします。
こういうこともあるのか、と思って頂ければ嬉しいです。